東京都八王子生まれ仙台出身のさずです。
6歳まで八王子の団地で育ち、物心ついた時からお絵かき、日記書きが大好きな、なんともぶさかわな子供でした。
5歳ぐらいの時に初めて見た映画”天空の城ラピュタ”が大好きで、飽きもせずに毎日毎日繰り返しビデオが擦り切れるまで見る毎日でした。パズーとシータに憧れて目玉焼きを焼いてパンに挟んで食べるシーンを自分なりに何度も再現。今思えば5歳であの映画を理解するなんて我ながらなかなかセンスあるやんと思います。
小学校に上がるとすぐに父親の実家がある仙台に移り住みます。団地で仲良くなった友達と離れるのが6歳ながらにとても辛かったのを覚えています。
仙台ではそれなりのフツーの小学生だったと思います。少女マンガコミックの”りぼん”を買い始めたことで乙女な少女マンガにハマり、それがきっかけで小4から友達とマンガを描き始めます。中学に上がるまでの2年の間でざっと10作品ほどは描き上げました。将来は漫画家になるものだとなぜか勝手に思っていましたねぇ。
しかし中学入学前にもなると世の中のお金事情もうっすらと理解し始めるお年頃なわけで。興味本位で漫画家のお給料を調べた(というか親に聞いてみただけ)ところ「売れないとあまりお金にならない」という情報をキャッチ。
悲しいかな、売れる自信など全くなくあっさりと漫画家への道を諦めました。
次に思い描いた将来の夢はイルカトレーナー。
なぜなら水族館で見たイルカがかわいいと思ったから。イルカのショーで楽しそうにイルカと戯れるお姉さんがかっこいいと思ったから。
しかしこの夢もお給料問題によりあっさりと諦めます。本当に今考えると恐ろしいですね、この歳でお金のことしか考えていなかっただなんて。
中学校に上がり、一体次は何を目指そうかなぁーとボーッとしている時にふと、なぜだか分からないけど「美容師っていいんじゃない?美容師かも!私がなるべきなのは!」と思う瞬間が訪れたんです。
元々自分の髪をいじるのも、長〜い髪の叔母さんの髪をいじらせてもらうのも大好きだったことを理由付けにして14歳で将来の夢のファイナルアンサーを出したのでした。
あの日から思いはブレることなく、母親との長く険しい大ゲンカを経て東京行きを勝ち取り、高校卒業後18歳で仙台から上京、美容師を目指し憧れだった東京の美容専門学校へ。
東京では今までずっと”標準語”だと思っていた数々の”仙台弁”で何度もクラス中の空気を止め、人生初のカルチャーショックを体験。
2年間の学校生活を終え、無事美容師免許を取得後、東京都内の美容室に就職。もちろん就職後すぐに人の髪が切れるわけではなく、床掃きから始まり、シャンプー、カラーなど美容師になる為の20−30項目ほどのカリキュラムが存在。典型的な営業前朝練に加え、終電間際までの営業後練習を続けること3年半。全てのテストに合格し遂に夢の美容師に!